登山口から

御在所山(ございしょやま)
愛媛県大洲市肱川町大谷/西予市野村町高瀬
標高689m
▲山頂の三角点
地形図名 松山-卯之町
種 別 二等三角点
点 名 御在所
緯 度 33°26′15.0582
経 度 132°38′00.2576
標 高 668.76m
所在地 愛媛県西予市大字高瀬2692番地、大洲市肱川町大字大谷5

四国百山。

御在所山はカルスト地形で有名です。
約1時間半で周回できる登山道沿いに、多数の石灰岩が奇岩のごとく露出しています。
同じカルスト地形の大野ヶ原や五段高原とは趣が異なり、御在所山のカレンフェルト(林立した石灰岩)は森に抱かれ、碧く苔むしています。
“カルストの森”は4つに分けられています。
特に尾根部分に位置する第4カルストの森は、カレンフェルトの間を抜けたり、越えたり、石灰岩に直に触れながら歩くことができます。
第4カルストの森の最後の大きな岩塊の頂点には「天狗の足跡」があります。
(“御在所”と“天狗”は他所でも見受けられる不思議な結びつきです。)

今は人工林と自然林に包まれている山頂も、その昔はカヤ場でした。
カヤは、白石地区に現存する茅葺き屋根に葺くために大切に育てられていました。
カヤ場だった頃は白い石灰岩が麓からもよく見えたそうです。

“御在所山”は地図に記載されているだけでも全国に6座ほど有ります。
愛媛県内にも直線距離で約15km近くの場所(城川と広見の境)にひとつあります。
高知県香北町にも1座あります。
四国の“御在所山”は、平家の落人伝説に由来していると云われています。

伝説では、壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門は、まだ8歳の安徳天皇と共に麓の大谷地区まで落ち延びました。
安徳天皇は、2歳で即位するも平清盛に実権を奪われ、5歳の時には、源義仲の入京で都落ちしました。
太宰府から屋島へと転々とし、史実では、壇ノ浦で祖母である平時子に抱かれて入水、崩御したとされています。
けれど、伝説では戦場を脱し、源氏の追っ手が迫る度に山奥へと移動し、現在の白石地区に移り住みました。
その時、財宝が源氏の手に渡ることを恐れた彼らは、いまは第4カルストの森と云われている場所にある祠附近に、財宝を埋めました。
史実では、幼帝と共に壇ノ浦に没した三種の神器のうち、神璽は引き上げられ、宝剣は失われたとされています。
山の風情が京の都を思い出させることから、御在所山と名付けられたとも伝えられています。

山頂の祠は伊予の国の神様が真っ先に訪れた場所と云われ、願い事がもっとも叶う場所だそうです。
白石地区の住民らによって手厚く護られています。

御在所山登山口は、“御在所自然の森”として、キャンプ場、バンガローなどが整備されました。
同時に登山道も整備され、展望台のほか、各所にコースの目印代わりになりそうな土管の灰皿が点点と配置されました。
一時的に管理されなかった期間があり、以来、展望台横のトイレなどは水が来ていません。
大洲市の観光情報サイトに記載がなかったり、県道からの道標も少なめです。
現在は肱川町森林組合によって運営され、案内所も無人ではありません。

案内所だった建物に住んでる方はとても親切で、道順など、詳しく親切に教えていただけます。
※お山の管理人さんではありません、道標が無くて迷ったとか、苦情などは直接、役場へ。
案内所から道を挟んだ青い小屋は竹炭館です。
イガがそのまま炭になった栗や元の姿で炭化した野菜や果物など、いろんな炭を見学できます。
表にある木の炭は持ち帰ることもできるそうです。
下山後、炭焼き過程に発生した熱を利用して沸かした大きなお風呂に入れるかも。

41.7km
内子鳥越
8km
大川橋
5.8km
鹿野川大橋
御在所山 6km 2.4km
1.6km 1km 5km 久下トンネル出口
白石地区

松山駅

松山市駅前

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堀端町行き

大洲駅

宇和島バス
天神行き

鹿野川大橋

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