高浜から

小富士(こふじ)
愛媛県松山市興居島
標高282m
別名・伊予小富士、小富士山
▲山頂の三角点
点 名 小富士
種別等級 三等三角点
地形図 松山-三津浜
緯 度 33°52′54.31
経 度 132°40′16.9331
標 高 282.34m
所在地 愛媛県松山市泊町字大山342番地

龍石山(りゅうせきやま)
愛媛県松山市興居島
標高32m
別名・城山
※三角点はありません。

泰の山(たいのやま)
愛媛県松山市興居島
標高119m
※三角点はありません。

高戸山(たかどやま、たかとやま)
愛媛県松山市興居島
標高117m
▲山頂の三角点
点 名 高峠
種別等級 三等三角点
地形図 松山-三津浜
緯 度 【亡失】
経 度
標 高
所在地

犬吠山(いぬぼえやま)
愛媛県松山市興居島
標高123m
▲山頂の三角点
点 名 犬吠峠
種別等級 三等三角点
地形図 松山-三津浜
緯 度 33°55′06.1867
経 度 132°41′24.3723
標 高 123.64m
所在地 愛媛県松山市門田町丙185番地

興居島は、愛媛県松山市に属し、高浜の沖合2kmほどの海上にある島です。
面積は9.27平方km、約24kmの海岸線を持つ島には、高浜港から、二社が運営するフェリーが日中、運行しています。
島のほとんどは山林で、平坦な部分はわずかです。
由良や泊、船越、御手洗、鷲ヶ巣、北浦、馬磯、角田などの集落は海辺の平坦地に点在しています。
(区分的には、泊、由良、門田の三つの町に分かれています。)

夏は、鷲ヶ巣海水浴場など、島ならではの透き通るような海を訪れる観光客で賑わいます。
春、4月20、21日は、島四国というミニ四国八十八ヶ所のお遍路さんが大勢訪れます。
秋は、伊予水軍の勇壮な姿を今に伝える船踊りが、和気比賣神社に奉納されます。
冬から春にかけては、名産のみかんが島をオレンジ色に彩ります。

島名の由来は複数あります。
「予章記」では、“母居島ぼいしま”が転じた説を紹介しています。
伊予の豪族・河野家の先祖とされる小千御子おちのみこは、興居島の守護神“和気姫”が産んだ三番目の子でした。
小千御子が“母が居る島”という意味の“母居島”と呼んだのが、やがて興居島に転じたのだとか。

「愛媛面影」には、「凝堅(こりかたま)りて成出」たという意味からこの地名が生れたという、もうひとつの由来が記載されています。

島名が初めて登場する書物は、室町時代の政所執事代であった蜷川親元が遺した「親元日記」です。
ちなみに、蜷川親元の父・親当は、アニメ「一休さん」に登場する足利義満の側近侍・蜷川新右衛門(しんえもんさん)のモデルになった人。

「大内左京大夫教弘与州於五々島病死陣中也」

「五々島」が、興居島のことです。

寛正6年(1465)、周防国守の大内教弘は河野通春と手を結び、敵対していた細川勝元の軍と戦いました。
戦の最中、興居島で病死したのですが、それは、同時期の「長禄寛正記」(作者不詳)にも記されています。

「中国ヨリ大内左京大夫教弘モ上意ヲ蒙リ、同河野ヲ退治ノ為ニ、四国ニ発向シケルガ、教弘ハ船中ヨリ煩出シ
…同九月三日興居嶋ニテ教弘逝去シ」

こちらでは、興居島は「興居嶋」となっています。

天正年間、河野家十八将の一人だった村上吉光の旗本・村上弘正が島を支配しました。
その際、居城したのが龍石山(城山)の明沢城で、道後平野の海の玄関口でにらみを利かせていました。
龍石山にある弘正寺は吉光の創建と云われ、明沢城はその後、石崎四郎三郎が城主となりました。

ちなみに、龍石山の名は、北の突端に龍が跡を付けたと云われる岩が由来です。

秀吉の四国侵攻により、明沢城も廃城になり、江戸時代は、島は松山松平家が所領するところとなりました(松山藩領)。
明治以降は和気郡興居島村、後、温泉郡になり、戦後、松山市に編入されました。

興居島でシンボリックにそびえる小富士は、端整なシルエットが富士山に似ていることから、昔から伊予小富士と呼ばれています。
富士の名を持つのは姿だけでなく、太古、小富士も火山でした。
きれいなシルエットになったのは、噴火していた当時の硬い安山岩が傘のようになって下にある柔らかい地層が浸食されるのを守ったからです。
地質学的にはビュート状地形と呼ばれ、香川の讃岐富士も同じ地形仲間です。

泊公民館に正岡子規が明治28年に詠んだ「鶏なくや小富士の麓桃の花」の句碑があります。
明治頃、桃は島の名産のひとつでした。
(「興居嶋へ魚舟いそぐ吹雪哉」という碑は高浜の黒岩口に、「雪の間に小富士の風の薫りけり」は松山観光港前にあります。)
山頂には「石鎚吹揚山大権現勧請所」というお社が祀られています。
現在は竹に覆われてしまっていますが、開けていれば石鎚山が遠望できたでしょう。
勧請所とは、石鎚遙拝社のようなものでもあり、石鎚を向いて建てられています。

高戸山は山頂に展望台があり、瀬戸内の多島美から遠く石鎚連峰まで、ぐるり360度のパノラマを楽しめるお山です。
ただし、展望台は潮風の影響か、コンクリートの剥落が進んでいて、一応、入口がロープ規制されています。

興居島を巡ると島中がみかん畑のような気がするほど、柑橘類の栽培が盛んですが、昔から果樹の栽培が行われていました。
寛永4年(1835)、由良の小林佐七がモモを栽培、出荷し、「興居島桃」と呼ばれるほど、評判になりました。
明治33年には泊の杉野安太郎がビワの栽培を開始、「興居島びわ」もまた評判になりました。
戦後、病害虫に強いことや、みかんの景気が良かったこともあって柑橘類が主となり、現在に至っています。
潮風を受けて育つ柑橘類は特に美味しいとされ、興居島産のみかん、いよかんも人気が高いです。
小富士も高戸山もみかん畑を抜けた先に山頂があります。
泰の山犬吠山もみかん畑に覆われています(登山道はありません)。

興居島にはほかに、黒崎山と子持山などがあります。
子持山も小富士同様、火山だったと云われています。

県道195号興居島循環線が北部の一部を除き、島をぐるっと巡っています。
瀬戸の多島美を愛でながらのドライブ、ツーリングもおすすめです。

3.4km 馬磯
800m
犬吠山
北浦 1km 2km
泰の山
1.7km 800m
2.5km
高戸山 800m 1km
鷲ヶ巣 600m 由良 門田
1km 700m
400m 船越 松山観光港
4.3km 1.4km 5.2km
城ノ鼻 高浜港
300m 龍石山
小富士
4.4km 5.2km

松山市駅

伊予鉄道
高浜行き
伊予鉄バス
高浜駅前行き

高浜駅

高浜港

ごごしまフェリー

由良

伊予鉄道 →ごごしまフェリー
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