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| 皿ヶ嶺から南へ連なる山並みの中に船山、笠松山、餓鬼ヶ森はあります。 山はほぼ植林帯に覆われています。 林業は久万高原町の基幹産業で、森は大切に管理・育英されています。 山から切り出された木材は加工され、次々に木造化されている町内の公共施設にも利用されています。 江戸時代、上浮穴一体には松山藩の御用林として御山奉行が置かれ、育林が奨励されていました。 明治6年に吉野から移り住んだ井部栄範が大宝寺の所有地にスギを3,000本を植林し、明治14年までに163,000本もの植林をしたのが、林業地としての始まりと云われています。 その後も井部は植林普及に努め、約500haの土地に約415万本もの植林を推し進めたそうです。 笠松山山頂には笠松城址の石碑が建っています。 笠松城は天正2年(1574)頃は鶴原和泉守三郎兵衛が居城しました。 河野氏により現在の大洲から久万大除城へ迎えられた大野氏の支城で、土佐の長宗我部による伊豫侵攻を防ぐための重要な防衛拠点として機能しました。 笠松山の標高が868mと記載されているものがありますが、多分に間違いです。 地図上に868mの標高点が打たれた山頂は北隣のピークで笠松山山頂ではありません。 等高線では850m以上、私のGPSでも855mくらいでした。 餓鬼ヶ森は、「がけがもり」と読みます。 村誌は、素性の知れぬ怪しい行者や、時に婦女子を連れ去る鬼が住む山という謂われから、餓鬼ヶ森と呼ばれるようになったのだろうと云われています。 山頂部は露出した岩塊で、登攀用のワイヤーが吊されています(安全に登れる巻き道もあります)。 山頂には展望を遮る木木も少なく、山座同定しきれないほどの大パノラマを目にすることができます。 東から視線を巡らせると、愛媛と高知県の境界をなす三光ノ辻山や二箆山の山並みから、中津明神山山頂のドームや、真南に笠取山・大川嶺、源氏ヶ駄場の四国カルスト、国道33号線を挟んで聳える桂ヶ森や黒森山、三坂峠越しに瀬戸の海まで見ることができます。 |
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