八幡山、作礼山、歓喜寺山は、今治平野の南西部、蒼社川と頓田川の間にある山山です。
高縄山地の北東縁部に位置し、作礼山から北へ下る支尾根の先端に八幡山、北東へ下る支尾根の先端に歓喜寺山があります。
八幡山、作礼山、歓喜寺山は、寺社と関連深い山山です。
八幡山の西麓には四国八十八ヶ所霊場の第57番札所・栄福寺があります。
作礼山山頂には、第58番札所・仙遊寺があり、山号も作礼山です。
歓喜寺山はその名が示す歓喜寺が東麓にあります。
八幡山は山塊が平野に没する支尾根の先端にあります。
南北に長い姿をしていて、鳥越峠付近の幅は東西に500mほどです。
三角点や伊加奈志神社がある北に突き出た部分は俗称・五十嵐(いかなし)の鼻と呼ばれています。
その前をやがて蒼社川と合流する谷山川が流れています。
南には手のひらの形をした犬塚池のほか、小さなため池が点在しています。
四国霊場・栄福寺は連日、お遍路さんが途切れることのないお寺です。
明治の神仏分離令(神仏判然令)で分離するまで石清水八幡神社と山頂で共に祀られていたため、八幡さんの別称があります。
山名の別名・府頭山は栄福寺の山号から来ています。
最初に栄福寺が創立され、続いて石清水八幡神社が建立されました。
栄福寺を開基したのは弘法大師です。
お大師さんは海上安全祈願の大護摩を修めていました。
その満願の日、海中に阿弥陀如来の霊験あるを悟り、山頂に堂宇を建立、阿弥陀如来をご本尊としました。
ご本尊は秘仏です。
その後の貞観元年(859)、行教上人が石清水八幡神社の前身である勝岡(かとか)八幡を創建しました。
行教上人は大分県宇佐の宇佐神宮を参詣した際、「われ都近く男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との神託を受けました。
そして帰京する最中、嵐に遭い、この地に漂着しました。
その時に見た八幡山が京都の男山に似ていたので、この地にも社を創建したのだそうです。
京都市八幡にある男山の石清水八幡神社は翌860年に創建されました。
なお、伊予市の伊予岡八幡神社もほとんど同様な霊験による創建の由来を有しています。
勝岡八幡は永承年中(1050年前後)、国司だった源頼義によって山頂に移されました。
栄福寺と神仏習合し、以降、河野氏、細川氏、重見氏らに保護されました。
石清水八幡神社の北、五十嵐(いかなし)の鼻にある伊加奈志(いかなし)神社はこじんまりとしています。
越智郡式内七社のひとつで由緒あるお社です。
五十嵐の鼻にある三角点周辺は五十嵐城、または御館という城砦がありました。
峰を横断する車道が通っている鳥越峠には、落城した城の塔城主一族の御霊が祀られた鳥越地蔵があります。
御利益はなんでも、願い事を叶えてくれると云われています。
南にある犬塚池は、栄福寺と仙遊寺を兼務していた住職がかわいがっていた犬の昔話に由来しています。
山上にある仙遊寺の鐘が鳴れば駆け上り、栄福寺で鐘が鳴れば駆け下り、手紙などを届けた利口な黒い犬だったそう。
ある日、同時に鐘が鳴ってしまい、どっちに行けばいいのか迷ってしまい、行ったり来たり、行ったり来たり。
やがて疲れた犬は池に落ちて死んでしまったんだそうです。
その後、供養する犬塚が築かれ、犬塚池のほとりにいまでも残っています。
作礼山は、東三方ヶ森から五葉ヶ森へ連なる尾根の北端部に位置します。
八幡山、歓喜寺山を見下ろす山頂下にあるのが四国霊場の仙遊寺です。
仙遊寺の参道があるため、アクセスは容易です。
ただし、車道は仙遊寺が管理しているため、車両は通行料を納経所に納める必要があります。
山頂は境内の端から観音様の石仏をたどりながら登れます。
三角点は山頂から下がった場所にあります。
仙遊寺は、国守の越智守興が天智天皇の勅を奉じて堂宇を建立したのが始まりです。
寺名は、40年間、寺に住んでいた阿坊仙人と名乗る僧が養老2年(718)、雲と遊ぶが如く忽然と消えたことに由来します。
それからおよそ100年後、お大師さんが訪れ、荒廃していた伽藍などが再興されました。
その時に錫杖で掘った泉(井戸)が大師の霊水・加持水です。
近年、宿坊がリニューアルされました。
宿からは今治平野、しまなみ海道が一望でき、お寺自前の源泉を使った温泉大浴場を完備しています。
本尊は千手観世音。
海から竜登川を登ってきた女の竜が一刀刻むごとに三礼して彫り上げたといわれています。
故に、「竜女一刀三礼の作」とも呼ばれています。
歓喜寺山は、平野へ消える尾根の先端にあり、鹿ノ子池に分断され、小起伏丘陵のような独立した姿になっています。
由来の観喜寺は東麓にあり、「歓喜寺の和尚さんのごちそう」というローカルなことわざが生まれたお寺です。
お山の周辺には大小のため池が点在しています。
この地域、特に山麓地域は蒼社川と頓田川に挟まれながら度度、水不足に悩まされた地で、治水対策として建設されました。
中でも鹿ノ子池は今治一の大きさのため池です。
29年もの年月を要して寛政8年(1771)に完成。
鹿の子に形が似ていたのが名の由来です。
犬塚池は鹿ノ子池の完成をみて着工されました。
歓喜寺山の南麓は朝倉地方の名産・古谷梨の梨畑が拡がっています。
北麓は鹿ノ子池公園という、緑の相談所や歴史民俗資料館、テニスコート、グラウンドが整備されました。
桜の名所として有名で、ソメイヨシノやシダレザクラなど約500本の桜が咲き続け、息の長いお花見が楽しめます。
八幡山、作礼山、歓喜寺山の山麓は古墳が多く見つかっています。
なかでも、歓喜寺山の南、県道沿いにある牛神古墳は6世紀後半の後期古墳で、築造当時の姿に復元されています。
須恵器・管玉・ガラス玉・耳環などの出土を展示した展示資料館が併設されています。
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