番駄ヶ森、ケタ山、大磨山は、東温市南部にある山並みで、合併前は重信と川内の旧町境尾根でした。
皿ヶ嶺連峰の善神ヶ森から北へ分岐した支脈に位置しています。
鍵山、花山越に続いて大磨山、ケタ山、番駄ヶ森とピークを連ね、ふるさと公園として整備された塩ヶ森を最後に支脈は松山平野へ没します。
西麓には拝志川を底辺とする上林の谷、東麓は井内川が浸食した井内の谷、ふたつの大きな谷に挟まれています。
番駄ヶ森は、国土地理院発行の地図にも記載されていますが、ケタ山、大磨山は載っていません。
ケタ山は『浮穴郡之図』(年不詳)という古地図に見られる山名です。
『浮穴郡之図』全体図
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古地図には、番駄ヶ森は“はんた之峯”、ケタ山は“けた山”、大磨山は“志やはみ山”と書かれています。
山頂にある「扇畑」三角点の“点の記”には、所在地の項目に“井内字上ケタ乙”と“ケタ”が使われています。
大磨山は東温市が設置した『皿ヶ嶺・上林観光案内図』に見られます。
皿ヶ嶺・上林観光案内図(平成14年3月設置)
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※当サイトでは初め、浮穴郡之図から採用した「娑婆見山」でご紹介しておりましたが、観光案内図に記載の現代表記に変更させていただきました。
番駄ヶ森は、花見客やハイカーで通年賑わう塩ヶ森に連なるお山です。
東麓にある塩ヶ森へのアクセス道路を車が通過する以外、訪れる人も稀です。
アクセス道路から山頂にかけての東斜面はシキミ畑に利用されています。
山頂へはシキミ畑の農道を使うと楽に登ることができるほか、ケタ山側にある送電鉄塔への巡視路も利用できます。
近年、上林側の北斜面の林が大きく伐採されましたが、依然、針葉樹の植林帯が占めています。
西谷小学校や西谷学校前バス停がある三島井手・久尾口からアクセス道路に入り、約2km上った久尾集落の最上部に、東温市指定天然記念物の“久尾彼岸桜”という、エドヒガンザクラの古木があります。
樹齢は約200年で、垂れた半開の花びらの姿から“釣鐘桜”とも呼ばれています。
番駄ヶ森から南へ尾根伝いに1kmほど行くとケタ山が、更に約500mで大磨山があります。
番駄ヶ森から大磨山を連絡する南北に長い尾根上に点在する小ピークの最高地点がケタ山です。
現在は無名峰ですが、三等三角点が設定されています。
こちらも近年、大がかりな伐採が行われ、特にケタ山と大磨山の間の花山越沿いの斜面は林道から尾根まで広く伐採されています。
ケタ山山頂の北東の東斜面も伐採されました。
尾根の上まで林が取り除かれたせいで、隠れていた大きな穴が露わになりました。
幅10m、深さ5mほどの穴で、自然な凹地を利用したのか、最初から人が掘ったのか、不明です。
底付近に石積みが見られるほか、東の谷方向に通路、もしくは排水路のような溝もあり、 人工的な雰囲気を醸し出しています。
そこは標高約630mの高地で、雨水を溜めるためか、城砦として機能していたのか、祠の一部だったのか、目的は定かではありません。
ちなみに、塩ヶ森の塩ヶ森城、上林花山の花山城、大熊山の大熊城、小手滝山の小手ヶ滝城など、周辺の山山には山城が多数、築かれていました。
穴から北へ100mほどのところにも古い石積みが残っていたりします。
いまのところ、ケタ山に城址があったことを示す資料はありません。
現在は石灯籠と墓石だけを残して消えてしまった大根木の集落が東麓にありました。
城址ではなく、明治頃まで山仕事などで村人に利用されていたのかも知れません。
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