淡路ヶ峠から

天山は、愛媛県松山市、道後平野のほぼ中央部にある四つの分離独立丘陵です。
星岡山土亀山天山は、天山三山と呼ばれる山山です。
ここでは隣接する東山を合わせ、四山で紹介します。

天山四山は、国道33号線、国道11号線、天山環状線に囲まれた狭いエリアにあります。
そのエリアを南北に分けるように小野川と川附川が流れています。
川附川の北側に土亀山と天山が、南側に星岡山が、小野川を挟んで東山があります。

この周辺は愛媛でももっとも初期に古代文化が興った場所のひとつです。
天山・星ノ岡古墳群と呼ばれ、土器や銅鏡・鉄剣など多くの出土品が発見されています。

平地に点在するその様は数々の伝説や昔話の舞台にもなりました。

周辺は日に日に田畑が宅地に変わり、住宅街になりつつあります。
お山も都市化の影響を受け、姿を変えつつあります。
斜面の一部が造成・開削され、宅地開発が進んでいます。
将来的には地図上から消えてしまう山があるかもしれません。

東側から

南側から

星岡山(ほしおかやま)
愛媛県松山市星岡
標高74m
別名・星ノ岡、薬師山
▲山頂の三角点データ
地形図名 松山-松山南部
種 別 三等三角点
点 名 星岡
緯 度 33°49′0″.1958
経 度 132°47′14″.4014
標 高 74.97m
所在地 愛媛県松山市星岡町薬師山乙240番地

星岡山は北東から南西へ四つの小さな頂きを持つ山です。
古くは五岳山とも呼ばれました。

近年、北側の頂きに建ったdocomoの電波塔が妙に目立っています。
城南高校のある山の東から南にかけては広々とした田畑が残るおだやかな風景が拡がります。
星乃岡温泉のある西から北にかけては住宅街となっています。

docomo電波塔のある側には得善寺、辰岡神社があります。
三角点のある南の山側には雲門寺、岡薬師堂があります。
南麓を、大きな黒い鯉の泳ぐ小野川が流れています。

岡薬師堂の奥にある山頂には、鎌倉幕府終焉のきっかけともなった星岡古戦場を記念した石碑が建っています。


東側から
土亀山(どがめやま)
愛媛県松山市福音寺
標高50m
▲山頂の三角点データ
地形図名 松山-松山南部
種 別 四等三角点
点 名 土亀山
緯 度 33°49′24″.6832
経 度 132°46′56″.7406
標 高 50.47m
所在地 愛媛県松山市福音寺町753-12番地

土亀山は、亀の甲羅のようなこんもりかわいいお山です。
見晴らしの良い東斜面は開墾されて畑になっています。
山頂は竹が生い茂り、静かです。
南側の墓地横から頂を目指すと、ロープ規制と「入ルナ」と手書きされた看板に迎えられます。

東山から

天山(あまやま)
愛媛県松山市天山
標高51m
※三角点はありません。

天山は、古くから信仰の対象となったお山です。
奈良時代には成立した『釈日本紀』に引用されている『伊予国風土記』に天山の記載があります。
天上にあった山が二つに分かれて落ち、ひとつは奈良県の香具山に落ちました。
そしてもうひとつがこの天山になったそうです。

天山神社の北側から天山北古墳が出土しました。
開墾等により床面だけを残す状態で発見されました。
そのため、石室形態は不明でした。
床面より奇跡的に銅鏡・鉄剣・子持付器台等が発見されました。

隣のグランドから

東山(ひがしやま)
標高約50m
※三角点はありません。

東山一帯は、東山古墳公園(または星が岡公園)として整備されています。
ジャングルジムや滑り台、ゲートボール場、頂上には展望台や休憩所が設けられています。
休日は子供達の声があふれる公園です。

古墳公園の名の通り、古墳が発見されました。
看板などはありませんが、よく見ると、小さな墳丘が点在しています。

1.2km 勝山交差点
600m 千舟町 2km
1.7km
天山 600m 300m 枝松
天山
変電所
100m 土亀山 1.3km
400m 200m
1km 天山
星岡山
東山 300m
東石井 400m
天山へ

松山市駅

伊予鉄バス
森松・砥部線

天山変電所西

→天山、土亀山

東石井

 →東山、星岡山
伊予鉄バス
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