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愛媛県立図書館に、
『温泉郡地図 地誌付』『桑村郡地図 地誌付』『周布郡地図 地誌付』『風早郡地図 地誌付』
『野間郡地図 地誌付』『和気郡地図 地誌付』『久米郡地図 地誌付』『越智郡地図 地誌付』
という、明治に愛媛県知事が作製させた古地図があります。
  『温泉郡地図 地誌付』
この地図は、同時期に編纂された『○○郡地誌』の地図版といったもので、
ものによっては2mを越える大きな紙の上に、集落、山、谷、川、溝、寺社の名前が網羅されています。

文献だけでは自信が持てなかった位置の特定も、地図なら一目瞭然です。

この地図を中心に南三方ヶ森、中三方ヶ森を取り上げて解明してゆきたいと思います。

其の壱:南三方ヶ森

『温泉郡地図 地誌付』から、
 南三方ヶ森の部分をピックアップしてみました。
赤い点線は郡境です。
赤い丸で囲まれているのは隣接する郡部です。
温泉郡と越智郡竜岡上、久米郡山之内と隣接、郡境がY字に交差する場所に南三方ヶ森があることを示しています。
この場所は、現在でも、松山市、東温市、今治市の市境です。
 白潰(または白潰山)と呼ばれるお山があるポイントです。

北三方ヶ森の南にあるから南三方ヶ森なのかもしれません。
(逆に、北にあるから北三方ヶ森なのかもしれませんけど)

同じ場所を『越智郡地図 地誌付』から
 奧三方ヶ森となっています。
越智郡の奧にあるから、でしょうか。

『久米郡地図 地誌付』では、
 西三方ヶ森となっています。
東三方ヶ森を基本に“西”にあるから西三方ヶ森なのかも。

以上のことから、

南三方ヶ森は、現在、白潰と呼ばれているピーク
南三方ヶ森は温泉郡での呼び名で、越智郡では奧三方ヶ森、久米郡では西三方ヶ森

と云うことが判明しました。

南三方ヶ森について書かれた文献から検証してみます。

温泉郡誌【湯山村誌】の【山誌】から
南三方ヶ森は、米野々の東南約一里余の連山中に聳え、本村及越智郡龍岡村、
本郡北吉井村の三村に跨る高山にして、福見山と相対す、高大凡九百五十尺あり
 ○米野々から東南約一里余の距離
 ○湯山村、越智郡龍岡村、温泉郡北吉井村の三村に跨るところ
どちらの条件も当てはまります。

愛媛県地誌【第一編 自然地誌】の【第二章 地勢】【第一節 山誌】【二、高縄山嘴地域】から
…高縄山の如きは三千四百尺の秀峰をなせり。
これより山脈は東西に走り、東山脈は北三方森より東南走して越智郡の南境に近く南三方森となり、
周桑、越智、温泉の境上に東三方森を起し、幾多の支脈を出して南走す。
 ○越智郡の南の境に南三方ヶ森
こちらも条件クリア。

愛媛県地誌【第三編 処誌】の【第五章 温泉】から
…東は高縄半島を形成せる諸山によりて、高峻なる地方となり、越智、周桑二郡との境を割し、
中央部に南三方森、少しく北に主峰高縄山等を起して西北に走り、遂に海に没し、
南方に連なりては遂に中山越に至りて石鎚山脈と境をなす。
然して、南三方森方面より西に向かひて突出したる一脈あり。
表現が大まかなので、問題なし。
異なるのは、南三方森の“ヶ”が抜けてる部分だけです。

今治地誌集【山川】の【南三方ヶ森】から
高さ未詳、麓回六里二十町、郡の南方にあり、東南は久米郡に属し、西は温泉郡に属し、北は本郡に属す。
山脈東は東三方ヶ森に連なり、南は久米郡福見山に亘り、西北は北三方ヶ森に通す。
山勢峻険、樹木鬱蒼、渓水六條、登路三條あり。
 ○久米郡、温泉郡、越智郡の3つに接している
 ○東三方ヶ森、福見山、北三方ヶ森に連なる
越智郡の地図では奧三方ヶ森になっていましたけど、この地誌集では南三方ヶ森に統一されています。
記述の場所は地図と合致しています。

次に、西三方ヶ森について書かれた文献から検証してみます。

温泉郡誌【北吉井村誌】の【山誌】から
村の東北隅郡境に東三方ヶ森あり、本村第一の高山にして、其の西にあるを中三方ヶ森といひ、
西にあるを西三方ヶ森といひ、尚其西にあるを福見山といふ、其他記すべきなし
 ○東三方ヶ森の西、福見山から東に西三方ヶ森
場所は合っています。

山之内村地誌【山】【西三方ヶ森】から
高さ未詳、麓回三十町、村の北方にあり。
嶺上よりこれを三分し、西は温泉郡湯山村に属し、北方は越智郡龍岡村に属し、東南は本村に属す。
山脈、坤位(西南)明神ヶ森に連なり、東中三方ヶ森に亘り、樹木茂生す。
渓水一條、音地谷と云、南に向け下流久米川に入る、裾幅二十間、支流八條あり。
こちらも合致しています。

けれど、以下の二つの資料だけは異なっています。

愛媛の山岳から
…いたずらの雲は石鎚石墨を隠し、これから踏み破る西三方ヶ森、白潰、明神ヶ森を朦朧の中に包んでいる。
(中略)…白潰までの中間に西三方ヶ森、1232米、1200米などの峰峰を越える。
西三方ヶ森と白潰が別物として描かれています

県立自然公園ガイドブックから
こちらも、西三方ヶ森と白潰が別々に描かれています。

明治の文献の多くが実地調査をせず、他の文献を丸写ししていただけとしたら、話は違ってくるんですけど、
いまのところ、多くの文献が白潰のピークを南三方ヶ森=西三方ヶ森とし、地図でもそのようになっています。

白潰山という山名は大正になって文献に登場し始めます。
明治の地図には白潰はありません。
現在でも、白潰という名前は地図には載っているものの、山名扱いにはなっていません。
白潰は普通地名を表す書体が使われており、山名を表す斜体ではありません。

白潰のピークが南三方ヶ森=西三方ヶ森であること知らなかったのか、
もしくは、続いて検証する中三方ヶ森と間違えてしまったものと思われます。

其の弐:中三方ヶ森

『久米郡地図 地誌付』から、
 中三方ヶ森の部分をピックアップしてみました。
久米郡と越智郡竜岡上、同鈍川と隣接する場所に中三方ヶ森があることを示しています。
この場所は、現在では、
 南は東温市山之内、北は今治市玉川町龍岡上、木地となっています。
1228.5mピーク、「ニブ川」四等三角点がある場所です。
北へ延びる尾根をずっとたどると楢原山に至ります。

『越智郡地図 地誌付』から、
 越智郡側には山名の記述はありません。
ただ、ひとつ北のピークが古権現山というのだけがわかります。
中三方ヶ森というのは、久米郡側だけの呼び名なのかも知れません。

中三方ヶ森は、現在の1228.5mピーク

と云うことが分かりました。

中三方ヶ森について書かれた文献から検証してみます。

温泉郡誌【北吉井村誌】の【山誌】から
村の東北隅郡境に東三方ヶ森あり、本村第一の高山にして、其の西にあるを中三方ヶ森といひ、
西にあるを西三方ヶ森といひ、尚其西にあるを福見山といふ、其他記すべきなし
 ○東三方ヶ森の西、西三方ヶ森の東に中三方ヶ森
場所はあっています。

山之内村地誌【山】【中三方ヶ森】から
高さ未詳、麓回二十町、村の艮位(東北)にあり。
東西北三方は越智郡竜岡村に属し、南は本村に属す。
山脈、西は西三方ヶ森に連なり、東は東三方ヶ森に亘り、樹木茂生す。
渓水一條、竹屋敷谷と云、南に向け下流久米川に入る、裾幅一五間、支流三條あり。
 ○東西北三方は越智郡竜岡村、南は山之内村に属する。
 ○西は西三方ヶ森、東に東三方ヶ森
鈍川もしくは木地が出てこない点が気になりますが、西三方ヶ森東三方ヶ森に挟まれた場所は合っています。

以上の結果を地図に当てはめると、
このようになりました。

パノラマ写真で見ると、


これが、



こうなります。

まさに“百聞は一見にしかず”の結果となりました。

ついでに。

其の参:北三方ヶ森

 『温泉郡地図 地誌付』では、北三方ヶ森ですが、

 『風早郡地図 地誌付』では、三宝ヶ森三宝ヶ森山
“宝(ぽう/ほう)”と“方”は当て字の関係と考えてもOKでしょう。
森は地域の人々に様々な恩恵をもたらしてくれる宝のような存在でしたから、“宝”がホントの語源なのかも知れませんね。

 『越智郡地図 地誌付』では、前三方嶽と呼ばれています。

其の四:東三方ヶ森

 『久米郡地図 地誌付』では、東三方ヶ森

 『越智郡地図 地誌付』でも通常の東三方ヶ森
“一名”(別名という意味)で、(日に非)ヶ森(ひがもり)も載っています。

 『周布郡地図 地誌付』は無名、

 『桑村郡地図 地誌付』では三ヶ森となっています。
文珠山はお隣のお山。

現在、国土地理院から発表されている地形図は、一つのお山に一つの山名が定番です。
四国内でもふたつの名前が載っているのは、

愛媛・高知県境にまたがる中津明神山くらいです。
これは、愛媛側と高知側で呼び名が異なっていたのが理由で、県境にそびえるお山独特の配慮です。

今回、この古地図を入手して改めて気づかされたことは、複数の名前を持つお山がとても多いことです。
“南三方ヶ森=奧三方ヶ森=西三方ヶ森=白潰”などはほんの一例にしか過ぎないということです。

石手川ダムの東岸に“岩柄山”というお山があります。

現代の地図には“岩柄山”という山名は載っていません。

けれど、『温泉郡地図 地誌付』を見てみると、

ご覧の通り、数多くの山名、谷の名前が載っています。
赤い点線は村境です。
“岩柄山”は玉谷村での呼び名で、隣の湯山柳村では“橡木山”と呼ばれていたことが分かります。

地名は文化です。
地名が由来する物は歴史だったり、伝説だったり昔話だったり、昔の人々の暮らしが反映されたものです。
お山の名前がひとつじゃないのも、それぞれにちゃんと物語があるからです。

でも、岩柄山含め、この山塊には地名がほとんどありません。
等高線しかないと云っても過言ではありません。

これは「この地域には歴史や物語がないただの森だ」と無言で云われてるようなものじゃないかって、
古地図を眺めていてそう感じる今日この頃です。

語り継ぐような伝承方法が失われつつある現代では、地図に載っていない地名はすぐに忘れ去られます。

等高線も大切でしょう。

でも、地名はもっと大切なはずです。

多くの地名が復活することを望みます。

地名は郷土愛を豊にするキーワードだと思うからです。


さて、 ○三方ヶ森探しでとても役だった『○○郡地図 地誌付』は、
愛媛県立図書館に行けば誰でも閲覧することができます(貸し出しは不可)。
けれど、閲覧者が多いため、大きさ故に折り目から破れたり、穴が空いたりしています。
とても貴重な資料なので、閲覧する際は大きなテーブルを確保し、折り目に逆らわないように開きましょう。
当たり前ですけど、文字を書き込んだり、手あかをべたべた付けないように。
閲覧終了後は、折り目通りにたたんでください。
僕の前に閲覧していた郷土史家気取りの老人が適当にたたんでいて、とても気を使って開かなければなりませんでした。
県立図書館4階の郷土資料は写真撮影が可能です。
当地図も撮影できますので、カウンターで許可申請書類をもらって下さい。
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